平成22年8月&9月號




今朝通信 第43号
『汽笛一声… 上氣嫌』

西瓜

すき焼今朝当主 藤森 朗

 葛飾北斎(1760〜1849)晩年の作品に「西瓜図」と云うのがあります(下図)。皇居内、三の丸尚蔵館に収められた絹本着色の肉筆画掛軸ですから、滅多に見られません。二つ切りにした西瓜の切り口に和紙が載せられ、その上に包丁、そして上部に張られた紐にぶら下がるようにして、紅白の薄く削いだ西瓜の皮がぶら下がっています。

 西瓜の絵として有名ですが、奇妙な構図で何を表しているのか、ずっと謎でした。今橋理子教授(学習院女子大学)によれば、これは平安時代から続く「星祭り」、七夕の夜に宮中で行われた行事「乞巧奠(キッコウデン)」の見立てだと云うのです。本来五色の糸をぶら下げ、水を満たした角盥には梶の葉を浮かべ、水面に映る牽牛星と織女星を愛でたものですが、北斎は西瓜と包丁の柄が角盥、断面が水面を表し、梶の葉の代わりに和紙が置かれ、西瓜の種が満天の星となり、包丁にはきちんと織り姫星と彦星まで描いてあります。

さて、此処に描かれた西瓜は無地の黒皮で、よく見られる緑の地に黒い縞模様がありません。こうした品種が広まったのは、昭和初期以降の話で、それまでは深緑色が一般的でした。

 この西瓜はアフリカ西南部に野生種があり、既に古代エジプトの壁画には西瓜栽培の様子が描かれています。西域から中国に伝わったため、「西瓜」の字が使われ、一説には中国の禅僧、隠元隆g(1592〜1673)が、1654(承応3)年に隠元豆を始め、孟宗竹や蓮根と共に西瓜を日本へもたらしたと云われています。

 しかし、当初は果肉の赤いのが気味悪がられ、さほど食べられなかったようですが、明治末期にアメリカから導入された品種「アイスクリーム」が日本の風土、嗜好に適したのか、在来種を圧倒し、馴化や雑種が普及していきました。

 こうした雑種を整理するため、大正末期から昭和初期に計画的育種事業が行われ、奈良県で水田の畦向けに開発された「大和西瓜」と千葉県で畑作向けの「都西瓜」の二大品種群が育成されました。

 現在の品種は殆どがこのどちらかの系統で、縞模様の西瓜です。因みに、この縞の部分に種が多いので、縞と縞の間を切ると切断面に種はあまり出ません。そして、西瓜は収穫前に雨が少なく、日照りが強くなるような日が続くと甘味が増します。

 果重が5〜7キロで、豊円からやや長めの球形をした「大玉西瓜」は日本の西瓜の基本となり、甘く、シャキッとした歯触りの良い食感が楽しめます。早期栽培種の「縞王」、やや遅い「天竜二号」「富士光」などの他、中には重さが10キロ以上となり、ラグビーボールのような形をした鳥取県の「大山(ダイセン)」と云う品種もあります。ところが、近年、核家族化も進み、大きすぎるとカット売りも盛んになりました。

 それ故、果皮の色、縞、果形は大玉西瓜と変わらないものの、小振りで果重が1.5〜2キロと冷蔵庫に丸のまま入る「小玉西瓜」の人気が高まっています。こちらは果皮が薄いので食べられる部分も多く、甘みもありますが、反面果皮が薄いので割れ易いのが欠点です。品種としては、「紅小玉」「ひとりじめ」の他、長楕円の「嘉宝」は淡緑色の網状斑があり、果肉は橙黄色で美味いです。

 果皮は緑でも、果肉が黄色の西瓜もあります。大玉の「大和クリーム」「大和黄金」、小玉には「黄小玉」があります。また、「でんすけ」は縞のない深緑色の表皮を持ち、瑞々しい真っ赤な果肉はシャキッとして美味く、贈答用に用いられています。

 重さが15〜20キロにもなる楕円形の巨大な「黒部西瓜」もありますが、こちらは最近では市場に出回っておらず今後の復活が期待されています。他に果皮が黄色くて果肉が赤いという珍しい大玉の「太陽西瓜」、小玉の「愛媛ひなた」、楕円の「金のたまご」という変わり種もあります。和歌山では「源五郎兵衛」の幼果を奈良漬けに用いていますね。

 西瓜の種子は脂質と蛋白質に富んでおり、リノール酸も多く含まれ、中華料理では乾燥して味付けされたものが、おつまみとして利用されています。

 緑と黒の縞の鮮やかな対比があり、お尻に当たる果頂部が小さいものが良いでしょう。ヘタが若々しく、叩いて「ポンポン」と良い音がすれば、シャキッとした西瓜です。もしも、鈍い音がすれば、もう熟れ過ぎです。西瓜にはむくみ解消や利尿作用があります。

 最後に、イッセイ・ミヤケの香水「ロー・ドゥ・イッセイ」は西瓜の香りをイメージしたのだとか。暑い夏だからこそ、水分補給を兼ねて、沢山西瓜を食べたいものです。


すき焼「今朝」のヒゲ親父の獨り言 gramophonの音戯函